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光とビタミンD

 1890年代の光治療で最も重要な発見は、成長期の子供の骨がゆがむくる病が、日光で治療できるということであった。当初、なぜ日光が有効なのかはわからなかったが、日光が皮膚にあたると体内に一連の反応が起きて、食事に含まれるカルシウムや他のミネラルの吸収に必要な成分であるビタミンDがつくられることがやがて判明した。ミタミンDが不足すると、正常な成長や骨の発達に必要なカルシュウム量を体が吸収できなくなる。そうすると、子供の場合にはくる病、大人の場合には骨軟化症(骨粗鬆症とも呼び、骨が弱くなって孔があいたり形がおかしくなったりする病気)が起こる。骨が健全に発達しそれを維持できるのは、カルシウムとリンを吸収する能力によることが今では知られている。日光に反応して体内でつくられるビタミンDは、ビタニンD3と呼ばれている。これは本物のビタミンではなく、紫外線の量に応じてつくられるコルカルシファロールというホルモンである。乳製品に多くみられる大量生産されたD3あるいはビタミン錠剤やビタミン添加食品に多いビタミンD2(アーゴカルシフェロール)とは異なる。天然のD3の方が体によく効くし、毒性が見つかったことはまったくない。一方D2は、大量に摂取すると危険である。日光は、体に無害なビタミンDのもとを生み出す反応の促進剤として現在では認められている。1890年代における光治療のすぐれた先駆者、デンマーク人ニールス・フィンセンは、ノルウェーでは、皮膚にできる結核性の傷が冬にとても多く、夏にはほとんどできないことに注目した。日光の不足によってそうした傷ができると考えた彼は、1892年に炭素アーク電灯を用いて尋常性狼瘡(皮膚結核の一種)の治療を手がける。その結果、赤色の光を使えば疱瘡から傷ができるのを防止できることがわかった。数年後彼は、日光の光化学的な特性のことを本に書き、結核を治療するために光の研究所を設立した。彼の仕事はとても革新的で効果が大きかったので、1903年紫外線を使って初めて皮膚結核の治療に成功した業績に対してノーベル賞が贈られた。日光と紫外線に長年たずさわってきた  フィンセンは、その間に何千人もの患者が奇跡的に治ったと語っている。彼は「近代光線治療の父」として知られている。

 19世紀は、X線の発見(1895年)とともに終わった。その頃には、19世紀の先駆者達によってまかれた種が二人の男の心に芽生え始めていた。その二人、ディンシャー・P・ガーダリーとハリー・ライリスピットラーはそれぞれ、スペクトロクロム{訳註・カラーフィルターを通した着光色を患部にあてて治療しる方法}とシントニクスの科学を生み出し、今日の光治療の基礎を築いた。プレズントン、パンコーストン、バビットの成長を研究した後、二人は別々に、先人たちの理論と応用が妥当かどうか評価し始めた。ディンシャーは物理、化学、数学、電気に造詣が深く、人体に色を使う場合の科学的に正確なアプローチを発展させることに狙いを定めた。熟練した医師であるスピットラーは、光に対して人間が生理学的にどう反応するかにまず注目し、それをもとにして体のいろいろなタイプに応じたわかりやすい独創的な診療の方法を発展させた。ディンシャーのスペクトロクロムは色を直接体に用いたし、スピットラーのシントニクスのアプローチは脳の中枢と最短でつながる道をたどって眼から体を治療した。

 

 

 

 

 

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